たとえば、出身地は?って聞かれたらなんて答えますか?
私はかなりの確率で「東北出身です」と答えています。留学生に自己紹介するときとか特にそうなんですが、東京・京都など国際的に知名度のある都市の出身でもないし、ましてや近郊に住んでいるわけでもないので自然とそういう答えになってしまいます。
生まれてからいままで、思えばずっと東北を出たことがなく、それゆえに一層「東北」が自分の土地であるという感覚が強いのかもしれません。
だからこそ連日報道される東日本大震災のニュースを、どの県についての報道であっても胸をえぐられる思いで見ていました。ここは私が生まれた場所、あそこは5歳のときにキャンプに行ったところ、ここは友達が住んでいるところ・・・。日本を、東北を襲った未曾有の大災害を、私は安全な場所から眺めていることしかできませんでした。
少しでも多くの情報を得たいと思って、必死にパソコンにかじりついても得られる情報なんてたかがしれているし、自分の無力さをただ自分自身に示すだけでした。
“東北が大変なことになっているのに”
何もできない自分、わかることもできない自分。---無力感、そして罪悪感。
ひたすらに落ち込むわきで、どうしてこういう風に考えてしまうんだろう、となんだか違和感も覚えました。
だって、おかしな話ですよね。普通に考えたら生き延びることができた、なんて自分はラッキーなんだろう。これも日頃の行いがいいからだ、とか自分を救ってくださった神に感謝しよう、という発想になるのではないかと思うのです。
海外にいる自分に今できることはなにも無い。だからこそ無力感にもさいなまれるわけですが・・・。
しかし冷静に考えて、「今」できることがないだけなんだ、という考えに行きつきました。
私に今できることはない。
でも、未来にはやるべきことはいっぱい待ち構えている。
被災地の悲惨な様子をニュースで見て涙したり、無力さを嘆くなんてお門違いの笑い草だ。
私たちの世代は「ゆとり世代」と呼ばれ、なにかと問題とされたくさんの大人たちの口の端に上ってきた世代でした。しかしこれから社会に出て働き始め、未来の日本を作るのは私であり、私たちです。
これからは「ゆとり世代」ではなく、「震災復興世代」と呼ばれるように努力していかなければならないと強く思うのです。
渡り鳥は、帰る場所があるからあんなにも遠くまで飛んでいける。自分が帰る場所があることをわかってて、信じているから飛び続けることができるのだと思います。
私も帰れる場所があるから、家を出ても、日本を出ても全く不安も感じず頑張ることができました。
私にとって、生まれ故郷の山形が永遠に故郷であるように、東北地方は私にとって特別な場所であり続けます。私が日本は美しいところだと胸を張って言えるのは、幼いころからいままで、東北地方の美しい風景とともに育ってきたからです。
復興はもちろん大変だし、困難を極めるでしょう。原発関連での被害はもちろんのこと、風評や差別も覚悟しなくてはならないかもしれません。しかし大変だからこそ、その土地を愛し、その土地に生きてきた地元民がしっかりと屋台骨を支えていかなければならないと思うのです。
自然が怖いのも知ってるけど、美しくてやさしいのも知ってる。
これからは私も頑張る大人のひとりになるね。
「ゆとり世代」、卒業します。
【おまけ】
リトアニア人の留学生が地震後の道路の復旧スピードがありえないというニュースを見たらしく、「日本は地震で本当に大変だったと思うけど、あの道路を一週間ぐらいで治せるんだからすぐに復興できるよ!これがリトアニアなら道路戻すのにも5年はかかってるよ!ほんと日本すげえ!」って言ってました。
ありがとう!なんか元気でたよ!!
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