日本もようやく暖かくなり、春めいた陽気になってきたようですね。ハンガリーはというと、3月中旬からぐっとあたたかくなり、今では昼に25℃近くまで気温が上がる夏のような天気です。
ヨーロッパの冬は東北っこの私でも驚愕の寒さで長く凍えていましたが、春になったとたんに街が色づき、晴れの日はそれだけで美しいと感じます。
しかし不思議なほどに急に冬から春になった気がするのですが、それにはBusójárás(ブショーヤーラーシュ)というお祭りが関係していると思います。
この祭りはペーチからバスで2時間程度のところに位置するMohács(モハーチ)という街で行われ、UNESCOの世界無形文化遺産にも登録されている伝統あるものです。また、ハンガリー人にとってモハーチは特別な意味を持つ街でもあります。
1526年、当時ヨーロッパに向けて勢力を拡大していたオスマン帝国とハンガリーが戦闘をした場所であり、この戦いでハンガリー軍は敗北しました。ここからハンガリーは150年にわたるオスマン帝国による統治下におかれます。
モハーチの人々は老人のお告げに従い仮面を作り、戦いに備えました。そして数日後、嵐の夜に本当に戦士が現れ、彼の指示のもと仮面をつけた男たちはモハーチの街に騒音をたてながら進軍したのでした。
オスマン軍は暗い暴風のあちこちから聞こえてくる奇怪な音におびえ、恐ろしい仮面を見ては震え、「悪魔が襲ってきた!」と口ぐちに叫びました。そして朝日が昇る前にオスマン軍はみな逃げ出し、モハーチの人々は自分たちの街を奪い返したのでした・・・。
でもこんなのが「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」とか言いながら襲いかかってきたらオスマン軍じゃなくても逃げ出すと思います。半笑いなのがまた怖いよね。
もう一つの由来はもっと古くから伝えられているもので、「Busóが冬を追い払う」というものです。こちらのほうは四季の移り変わりを祝うという、スラヴ民族の行事からきているのでしょうが、街の歴史や民族の伝説と融和し、現在のBusójárásになっているのでしょう。
Busójárásのハイライトはなんといっても街のメインストリートで開催されるパレードです。
早めに行って並んで場所取りしていたのですが、まじで凍え死ぬかとおもいました。何度だったかは覚えていませんが、寒かった事だけは覚えている・・・。Forralt bor(ハンガリーのホットワイン)をこの日だけで3杯も飲みましたよ・・・。
寒いよー寒いよーと待ちくたびれていたら、遠くの方から爆音が!!
トラクターにはBusóや民族衣装を着た少女が乗っています。
少女たちは顔をレースのショールで隠しています。うーん、ミステリアス!
そして祭りの主役!Busóも前に後にと続きます!
トラクター+少女+Busóという組み合わせが何組も続きます。おそらく地域ごとにグループがあるのではないでしょうか。
いや、怖ぇぇぇぇぇ!!!!!!
ヨーロッパの冬は東北っこの私でも驚愕の寒さで長く凍えていましたが、春になったとたんに街が色づき、晴れの日はそれだけで美しいと感じます。
しかし不思議なほどに急に冬から春になった気がするのですが、それにはBusójárás(ブショーヤーラーシュ)というお祭りが関係していると思います。
この祭りはペーチからバスで2時間程度のところに位置するMohács(モハーチ)という街で行われ、UNESCOの世界無形文化遺産にも登録されている伝統あるものです。また、ハンガリー人にとってモハーチは特別な意味を持つ街でもあります。
1526年、当時ヨーロッパに向けて勢力を拡大していたオスマン帝国とハンガリーが戦闘をした場所であり、この戦いでハンガリー軍は敗北しました。ここからハンガリーは150年にわたるオスマン帝国による統治下におかれます。
そのことを象徴するように、モハーチには“トルコ風の”建築物が多数残されています。
こちらの教会もどことなくモスクっぽい。
教会の向かいにあるこちらの建物(おそらく町役場)もイスラームな香りがします。
ハンガリーにとって重要な歴史的意味をもつモハーチで行われる冬の祭り、Busójárás(ブショーヤーラーシュ)とはどんなお祭りなのでしょうか?
3月上旬には“灰の水曜日”というカトリック教会の行事があり、ヨーロッパ各所でカーニバルなどが開催されます。しかしBusójárásはカトリックの行事に関連したものではなく、スラヴ民族の春の訪れを祝う行事に由来しており、ハンガリー国内では唯一モハーチでのみ行われます。
Busójárásは、Busóと呼ばれる男達が仮面をつけて変装して街を練り歩くお祭りで、その容貌がすごい!
どーーーーーーーーん!!!!!!!
さすが祭りの看板、Busó。すごい迫力です。
全身像はこんなかんじ。この写真を撮った時はまだカーニバルが始まる前だったのですが、すでにBusóがうろうろしてました。うん、怖い。
この衣装は羊の毛皮でできており、牡羊の角の付いた木製のマスクをかぶっています。また、白のズボン・黒のブーツを履いていて、歩くたびに腰に付けたカウベルがカランカランと鳴り響きます。
↑カウベル
そしてほとんどのBusóは大きな音を立てる木製の楽器?を手に持っていて、ガラガラガラガラとけたたましい騒音をあげながら歩いていました。怖い。
伝統的にはSokacというスラヴ系住民のみBusóに扮することができたのですが、今は人種に関係なくモハーチに住む男たち全員に許されています。伝統を守るためには、柔軟さと許容が必要とされるのですね。
なんかもこもこした外見、日本の鬼と酷似した様相から、Busóはよく秋田のなまはげと比較されます。
あー・・・。
こうして冷静にみるとなまはげって怖いですね。太鼓叩いて大きな音を出すところも似ているかも!
Busóの由来は諸説あるようですが、一番ポピュラーな伝説によりますと・・・
オスマン軍に街を占領されたモハーチの住民たち。生まれ故郷を追われた彼らは、森に身をひそめていました。火を取り囲みながら語りあっていたある夜のことです。突然どこからともなく老人が現れ、モハーチの民に語りかけました。
”・・・案ずるでない、苦しい生活はすぐに終わる。故郷を取り戻す戦に備えるのだ。あらゆる武器を用意し、敵を震え上がらせるような仮面を彫れ。そして嵐の夜に戦士が現れ汝らを導くだろう・・・”ってこれ何てファンタジー。ロード・オブ・ザ・リングの一幕って言われても信じます。思わず翻訳にも力がはいりました。
モハーチの人々は老人のお告げに従い仮面を作り、戦いに備えました。そして数日後、嵐の夜に本当に戦士が現れ、彼の指示のもと仮面をつけた男たちはモハーチの街に騒音をたてながら進軍したのでした。
オスマン軍は暗い暴風のあちこちから聞こえてくる奇怪な音におびえ、恐ろしい仮面を見ては震え、「悪魔が襲ってきた!」と口ぐちに叫びました。そして朝日が昇る前にオスマン軍はみな逃げ出し、モハーチの人々は自分たちの街を奪い返したのでした・・・。
でもこんなのが「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」とか言いながら襲いかかってきたらオスマン軍じゃなくても逃げ出すと思います。半笑いなのがまた怖いよね。
もう一つの由来はもっと古くから伝えられているもので、「Busóが冬を追い払う」というものです。こちらのほうは四季の移り変わりを祝うという、スラヴ民族の行事からきているのでしょうが、街の歴史や民族の伝説と融和し、現在のBusójárásになっているのでしょう。
Busójárásのハイライトはなんといっても街のメインストリートで開催されるパレードです。
早めに行って並んで場所取りしていたのですが、まじで凍え死ぬかとおもいました。何度だったかは覚えていませんが、寒かった事だけは覚えている・・・。Forralt bor(ハンガリーのホットワイン)をこの日だけで3杯も飲みましたよ・・・。
寒いよー寒いよーと待ちくたびれていたら、遠くの方から爆音が!!
!?
ば・・・爆音の正体はトラクターでした・・・。
なんかあれか、日本の祭りでいうお神輿か山車みたいなもんなのかもしれません。トラクターにはBusóや民族衣装を着た少女が乗っています。
少女たちは顔をレースのショールで隠しています。うーん、ミステリアス!
そして祭りの主役!Busóも前に後にと続きます!
トラクター+少女+Busóという組み合わせが何組も続きます。おそらく地域ごとにグループがあるのではないでしょうか。
いや、怖ぇぇぇぇぇ!!!!!!
太鼓を打ち鳴らしてパレードを盛り上げる人たち。
わー!すげー!まじすげー!!と寒さを忘れて盛り上がっていたら、突然女の人が近づいてきて・・・
!?!?!?
なんかいきなりキスされました。ぶっちゅーーーーっていう音が聞こえてくるような漫画みたいなほっぺちゅー(笑)
↑いろんな人にキスしまくってるので口紅塗り直してました。
や・・・なんか美人だからむしろ得した気がする・・・。え、ありがとうって言うべき・・・?
いきなりのほっぺチューテロに始まり、私たちの前を通るたびに何かしらの攻撃を仕掛けてくるBusóたち!!!あれ!?これってそういう祭りなんだ!?!?
↑この手に持ってるやつがガラガラと騒音を鳴らす楽器です。一緒に行った友人が頭わしゃわしゃされまくってました・・・。
戸惑う私たちにハンガリー人の友人が「はは、この祭りではね、みんな女子供や観光客を狙ってイタズラしてくるんだよ!グッドラック!」と言い放ちました。
お前いつの間にそんな後ろに逃げたし!
てかそういうことは最初に言えぇぇぇぇぇ!!!!
最前列にいた私たち(日本人女子4人)はわかりやすすぎる標的だったらしく、ほぼ100%の命中率でわしゃわしゃされたり、つつかれたりしました。
次第にBusó達の攻撃はヒートアップし、しまいにはひょいっと抱えられて連れ去られる友人・・・。こんなに夢のないだっこなんて・・・。
私も小脇に抱えられてパレードに無理やり合流させられたりしました。Busóの毛皮はすごく・・・もこもこでした・・・。あと相当重い私を片手で抱えるなんて、ハンガリー人男s・・・Busóはとても力持ちだな、と思いました。
あとこんな感じに挟まれて両側からガシガシと飛び跳ねるのもやられました・・・。すごく・・・もこもこです・・・。
パレードのときはかなりの人出になるので、写真をちゃんと撮りたい場合は最前列にいるべきですが、最前列にいると(特に女性は)ほぼ100%襲われるので、覚悟して挑んだ方がいいと思います。
しかし決して嫌なイタズラではなく、笑えるイタズラなのでご安心を。UNESCOに登録されるような伝統的なお祭りでこんなに爆笑するとは思いませんでした。モハーチの人たちもこんな楽しい祭りだったらそりゃ毎年やりたいだろうなぁ。観客が楽しいのはもちろんですが、何よりやっている人たちが楽しんでいる印象をうけました。
パレードで最高に盛り上がった(そして最高に疲れた)私たちは、休憩することなく目の前を通りすぎたBusóの一行を追いかけました。
一行はドナウ川へ向かい、みると川岸に人がたくさん集まっていました。
「これから何が始まるの?」とハンガリー人の友人に聞いたら、
「冬のお葬式だよ。」とのこと。
Busóたちはドナウ川を渡るフェリーに乗り込み、フェリーの中から黒い箱のようなものをつるしはじめました。
「あの黒い箱は棺でね、中に冬が入っているんだ。こうして冬を葬ることで、ハンガリーに春がやってくるんだよ。」
Busóたちは棺につけていた紐を手放し、黒い棺はドナウ川へとまっすぐに落下しました。ばちゃん、と音がした瞬間に見ていた人々の間から歓声が上がりました。長く、寒かった冬ともこれでお別れなのです。
棺を縁取る銀が、夕暮れの太陽を反射しながら棺はゆっくりとドナウ川を流れていきます。その葬式はとても美しく、感動的でした。
Busójárásを締めくくるのは街の中心になっている広場でおこなわれるBonfire(かがり火)です。
ドーン!と音がするのでびびって見てみると、小麦粉袋を大砲に詰めて飛ばしていたりもしました。どこまでもいたずらの延長のような楽しさ。
大音量で民族音楽がかかり、大きな火のまわりをBusóや民族衣装の少女が取り囲み、ダンスを踊っています。火を囲む輪はどんどん大きくなり、Busóや少女が手招きして観客と一体となり踊っています。
ハンガリーはこのBusójárásのあと急に気温があがって春になりました。なんとも神秘的な行事に立ち会ったのだな、と感動を新たにしています。
また、いままでペーチとブダペスト以外に行ったことがなかったので、モハーチが初めて行くハンガリーの地方都市でした。こうしてペーチ以外のハンガリーを知ることができて、ますますハンガリーが好きになりました。
3月上旬にハンガリーを訪れる機会があれば、ぜひぜひ行ってもらいたい素敵なお祭りです!
最前列で命がけで撮ってきた写真をまとめておきましたので、良ければご覧ください。右上のアイコンをクリックすると全画面で表示されます~。
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